昭和50年07月18日 朝の御理解



 御理解 第88節
 「昔から、親が鏡を持たして嫁入りをさせるのは、顔をきれいにするばかりではない  。心につらい悲しいと思う時、鏡を立て、悪い顔を人に見せぬようにして家を治めよ  ということである。」

 信心のない者の例を取っておられる訳です。鏡を持たせると言うのは、決して見目形を綺麗にするという事だけではない。自分の心が顔に現われる。悲しい時には悲しい顔になり、腹が立つ時には腹立たしい顔になる。鏡を見るとこれではならんと、にこやかに出来ない時でも、にこやかにして、そして家を治めて行くのだぞという。是は信心がない者でも、親が鏡を持たせるのは、そういう意味あいのものだという訳なんです。そこでこれを信心で頂きます時に、作った顔ではいけません。
 てすから顔を見ると腹が立った時には、それこそ自分でもこわい顔になっておる。そこでハッと信心に気が付かせて頂いて、自分の心を改める事から、やつぱり心掛けます。昨夜、合楽会があっておりました中に、もう二十数年前に一回お合いした事があります。北野の上滝さんですね、もう亡くなりました、上滝さんの姉さんになる方が、お参りをして来ました。或る教会で熱心に信心をして、楽の御用まで頂いておられるのですけれども、これはとにかく、二十五年前の事を思い出してから。
 もうそれこそ弟の勇さんが、医者が時間の問題だと言うて、帰つたほどしの粟粒結核の、あのひどい弟が助かった時の事を思い出した。そして合楽の金光様にお縋がりをしようと言う事で参って来た。自分のご主人も「ソコヒ」か何かで、目が見えなくなって、手術をされるという様な難儀もあるけれども、実は自分の娘が嫁入っておる。その娘さんが子供三人を抱えて、大変難儀をしておる。その主人と言うのが飲む打つ買うと言うでしょうか。競輪競馬博打その上、本当によくない人らしいんです。
 結婚して八年になられると言う事ですが、もう辛抱が出来んから別れると言うので、その娘さんに話を聞かせたら、また立ち直る事も出来るかも知れんと言うので、昨夜連れて来たわけです。まぁ話しを聞くと本当に貰い泣きするごたる、苦しいとこを通ってます。小さい子供を保育園に預けて、そして自分は勤めに出ているそうですけれども、そのお母さんという人が、主人といっちょんかわらん口になって、まぁ言うなら嫁いじめをしなさるそうです。だからたちどころがない。
 息子があげんじゃけん、あんたが辛抱がし難かろうばってと言った様な、親じゃないわけです。だから私はそれは別れにゃおられん。別れたが良かろうと。けれどもこれを信心で言うと、その苦しいと言う事は矢張りついて回る、その苦しみはなくても今度は食うに食われんとか、病気とか何か人間の苦しみと言うものは同じなんです。それがめぐりと言うものなんです。
 これと別れたならばそこに楽になるかと言うと、決してそうじゃない。やっぱり苦労と言うものはついて回るもんだから、信心はその苦労の根を切ると言う事にあるのだ。と言うて、この八十八節の様な事を聞いて貰うた。それであなたが信心をさして頂くと言う気になりゃその苦労が、とにかく有難い私の母の話しをさせて貰った。まぁ六十才位までの母の苦労と言うものは大変な苦労であった。
 もう七十八才になって二十日余り湯水も通らん様な状態で休んでおるけれども、それ以来六十からこっちの、例えば母の幸せ言うか、極楽と言うかその状態と言うものは、それこそ若い時の苦労は買うてでもせろと言われておるのは、信心を頂いて初めて言える事であって、これは信心を抜きにしたら、若い時の苦労が、必ず頑固爺やら頑固婆になる基になるです。私どんが若い時はこうじゃった。
 こげな事をしたと言うて、若い者をそういう目で見る様になる。若い時の苦労は買うてでもせろと言うのは、これは心を信心に向け、神様に向けてからの、言う事だと私は思う。おかげを頂いて晩年が素晴らしい。晩年が素晴らしい有難い勿体無いと言う事は、もうそのままあの世までも、永劫持って行けれるから素晴らしいじゃないか。私はあんたが考えて本当にあの難儀が無かったら、とても合楽に御神縁を頂く事はなかったろうけれども、あゝいう事のおかげで、信心が分からせて頂いて有難い。
 三人の子供が私達が母の苦労の姿を見てから思いよった。この母に苦労どもかけてはならんと、もう芯から思うとった。と言う様に信心でそれをなされて行く時に、子供達も立派に出来る事だろう。あなたの心も苦しい、けれども有難いと言う心か開けて来てです。それこそ黙って家を治める、治めると言う事を、さんずい辺に無口と書いてある。自然に起きて来る様々な問題を、無口でそれを治める。苦しい事は神様へ持って行く外には出さない。顔には出さない。
 そういう生き方で治めるが一番素晴らしい治め方が出来るんだ。あんたの顔を見てるともうズーッと。松岡さんところの弟の嫁が、その人の姉さんにに当たるんです。その人も京子さんと言う一緒に来てました。三っ年上げなけども返って若うして、にこやかにしとる。だから京子さんの顔は本当ににこやかにしとるばってん、あんたの顔は悔み顔になってしもうとるよち。それこそ朝から愚痴るな運命が悪くなると、私が御神米に書いてやった。朝から愚痴るな運命が悪くなる。
 これは皆さん本当ですよ。愚痴を言いよると必ず運命が悪くなるです。だから本当に、前の晩から、朝清々しい目覚ましのおかげを頂いて、洗面をする時の自分の顔を見る時に、あゝ今日の顔は素晴らしいと自分で思う様な、私は必ず自分で自分の顔を映して、それを思うんです。はぁこの顔で御結界に着くなら、神様も喜んで下さるなと言う事です。この顔でなら人が助かるなと心がそれなんだから。鏡を見ると言うのはそう言う事のために見るんだという事を、教祖は仰っておられる訳ですね。
 私は今朝からお夢を頂いた。ははぁこれは夢の中で、これは御理解であろうか、自分の心にもこんな物が残っておるのだろうかと、自分で思ったのですけどね。私がうどん屋さんをしておる訳です。うどんそばの飲食店をしておる訳です。それでお客さんが沢山こう並んで頂きよんなさる。その中に私の好みと言うか、私好みの人がいつも常連で来よる。その人に、私がそばをついでやっとる。所が若ぇ者じゃけんこれで足るまいと思いよる訳です。だからその人のとだけ、少し盛りば余計してやりよる所であった。
 それからまた続いて頂いたお夢が、ある方がそれも私好みの人が家に来ておった。まぁ一時だんよかじゃんの、まぁゆっくりして行かんのと言うて、私が止めよったばってん、いえ、用事のあるけんで帰る。そしたら丁度バスが来た。そしたらそれが満員だった。ほうら見てんの、私が止めるとけん、あんた止まらにゃいかんがち言いよる内に、またそん次のバスが来た。所がそれは殆ど空の様な状態で来た。けども私は手を上げじゃった。引き止めたい訳です。
 私は今日思わせて頂く事は、この人間愛と言うものは、神様の気感に叶わんものだと思うですね人間愛は。三代金光様が、親切が一つあれば人が助かると仰る。この親切とはね、親が子を思う心の状態を、誰彼にでも使える様になったらと言う事です。これは人間愛じゃないですもうこれは神愛です。自分の子供にも思うそれは人間愛です。けれども子供を思う程しの親が子を思う切実心をもって、赤の他人の誰彼ども思われるという心でなければ、神愛とは言えません。
 真の愛とは言えません。神の愛とは言えません。自分が好きだから盛りをよくしてやったり、自分が好きだからその人を引き止めてやったり、嫌いな奴はホーキでん立てちから、早う帰そうごたる。これでは全然神の気感に適はん。どんなにその人を可愛がった所で、如何にその人に親心で、まぁ一杯どん食べんのち、ただで食べさせたっちゃ、それじゃおかげにはならん。
 人間愛はむしろ神の気感に叶わぬもの人間愛は。だから人間愛は本当に謹まなければいけないです。神の気感に叶わぬと言う事になるならです、そんなら子供に自分の好きな人に、言うたり懸けたりする、それを謹しまなきゃいけません。撫でてやろうごとあるばってん、撫でん位の気持ちがいるです。そしてあゝこれは神の機感に適わん心だと、心の中に戒める。れが心行にもなるのです。だから嫌いな人には反対に、撫でようごともなかばってん、撫でてやるちいう位な私は精進が要ると思う。
 私はこの八十八節は、信心の無い者でもの例を取って御理解下さってあります。そこで私は鏡を見て自分が腹立だしい顔をしとるから、こげな事じゃいかんと言うて、言わば作った様なにこやかな顔をすると言う事はです、良か事ではありません。悪い事ではないでしょうけれども、ならおかげの頂ける、それは努力精進ではないと言う事。どこまでもこの八十八節は信心させて頂く者の心で頂かなければならないと言う事。言うなら人間愛ではなくて、神愛を持ってこの御理解を会得させて貰わなければならない。
 それから黙って治めると言った様な、信心が身について来る時にです、本当のおかげが受けられると言う風に思います。私共の日常の中に神様の気感に叶わぬ人間愛だけで終わる様なことはないか、これは本当に心掛けなければならない事。同時にそれを一つの心行とさせて頂いて親が子を思う切実心。言うならば親切な心とは親が子を思う心、親が子供を可愛がるという事ではなくて、親が子を思う切実心をもって、赤の他人の誰彼の事でも思えれる様になるそれが親切である。
 そういう心を使うて行かなければならん。今日は人間愛での生き方から、言うなら本当の意味に於いての神愛、真の愛又は神の愛をもってです家を治めるであり、様々な人間関係の上に於いてもです。言うなら鏡を見て、自分の顔をあゝ是は恐ろしい顔をしとる、言うならば淋しい顔をしとる。そこで自分の心を神様にお縋りして、豊かな表状になる様に可愛らしい表情になる様にです、心から直して行こうという心行の事を、今日は聞いて頂きましたですね。
   どうぞ。